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なんだかんだいってサーバをお借りしてサイトというものを上澄みだけ掬って作ってるみたいなことをとぎれとぎれで7年くらいやってたみたいで、そんなぺらぺらの上澄みサイトですけど本日は少し更新しました。
しかし、最初はWindowsでいじっていたのをMacに変えたら、アップローダーが謎すぎて、過去にサーバに置いたデータを消せなくて、ほんと今私のサーバの汚さといったら。ほんとひどい。ドイヒー。 そして自分で持ってるデータもチェックしたら一部壊れてるんだけどチマチマめんどくさいことをしすぎてメンテに手が回らないのでなんかもっと簡単な方法にしたい。 部屋の整理整頓もできないけどデータの整理整頓もできてないことに気づいて、いやはや泣けてきましたよね。パソコンだって軽い方がきっとお好きよね。整理しよう… で、サイト。 もうほんと黒歴史増やしてどうなさるおつもりなの?ってご意見もおありでしょうけど、やらないで後悔するより、やって後悔した方がいいと思います。だから今後また、サイトには手をつけていこうと思います。 思います思いますっておまえ、中学生か。 ところでflickrなるものは画像をおいとくのにいいんじゃないかと思ってチラ見したらこの人の写真が良すぎて漏らしそうになった。もしかしたら漏らしたかも。やばい。 ピントの魔法とマクロとミクロの魔法。カメラというものはこのような力を持っているのか。腰抜けたわ。 カメラ買うのにNIKONにするかCANONにするか悩んでる。 とか言いながら先日ヨーヨーマのCD買っちゃった。グレングールドがベートーヴェン演奏してるやつも買っちゃった。すごい勢いで聴いてます。 ヨーヨーマ、入ってないと思ったのにG線上のアリアが入ってて得した気持ちになった。全体にエレガントなアリアですな。 グールドのベートーヴェンは、シャキっとしてて好きです。 ベートーヴェンが高校生だとしたらちゃんと学校行ってそう。でも廚二病にちょっとあこがれてかっこいい曲作っちゃおうかなみたいな。でも基本的に校則は守るよ。みたいなそんな感じ。ちなみに廚二病にあこがれちゃったんじゃないのかって思ったのはこの曲。 グールドの演奏の方が優等生っぽいんですけど、ようつべさんでは見当たらなかった。
ようつべさんの動画を貼る。
なんだこの空気は…すらばしい…すばらしい…空気の揺らぎが映画みたいにすっばらしくてチェロとピアノという楽器の強さとアナログの音楽の強さを120%教えてくれるよなんだこれ。すごい。 前回貼ったヨーヨーマのアルバムの一曲目。歌が入るともっとゆっくりになるんだけどこれは早いのね。同じチェロだけどヨーヨーマのは、なんだっけな、なんか今主流になってるチェロよりもうちょっと古い時代のものを再現してるとかどっかで読んだ記憶があるんですけど、なんかね、ほんと、前回も書いたけど、なんとなく陽気。 グレングールドの若さにびっくりした。このグールドの動き、めっちゃいい。音楽に引きずり込まれながら演奏している人は多分みんなこういう風に動きたいんじゃないのか。普通のポジションでピアノを弾く人だって本当はこんな顔して弾きたいんじゃないのか。 これも前から好き。忘れないように貼っておきましょう。もともと誰の演奏かもわかんないで小学校?ぐらいで聴いてから、この最初の部分をよく鼻歌で歌ってた記憶があるよ。ヨーヨーマはチェロのあるところどこにでも現れるんだろうか… ヨーヨーマの上の方の動画は音だけだけどあとの二つは本当に演奏してる人の顔がいい。まじめな顔、脱力系の顔ってあるけど、どっちも、音と手の感覚に全部意識を持ってってる感じがして、その顔の意味がわかるし、私も追体験できればいいのになあと思う。
やっぱこれ欲しいなあ。
ヨーヨーマのチェロってなんか音が陽気な感じでいいですよね。 ということとは全然関係がないんですが読んでいただいてもどうしようもないようなことを追記にして書いて自分だけすっきりしようと思います。 あなたの幸せのために3分間祈らせてくだサーイ
最近好きなものは何かって言ったら、太陽光です。
今いる職場の駅前がかなり大規模なペデストリアンデッキで構成されていて、もともと丘の上にあるので、もう、すごいの、太陽光が。って自己啓発セミナーにはまった女みたいな物言いになってますけど、日光をしっかり浴びてるなあ、という感じがします。去年の秋口から今の職場なんですけど、このペデストリアンデッキ、いいよねっつって通勤路でひそかに興奮してました。んで今年に入ってからそこに加えて太陽光によって気分が高揚するようになったのは、春だからですか。しらんがな。 何回かここに書いた気もするんですが、私のいる会社って異動が多くて、1年同じところにいたら長いねっていわれるような感じなんですね。住めば都じゃないけど、異動した先にどこにも魅力がない、つらい、という場所ってないなと思います。良い方に目を向けてるだけなのかもしれませんけど。まあ、いいことよね。 なにか集中してガーッとものを作らないと、私は、ものを作っている人へのコンプレックスを勝手に持って勝手にだめになるな、と最近とみに思っています。 別に誰かから何か課されているわけじゃないので何を作ろうと自由なんですが、作らなくたって自由、という側面を含めると、一体どうしていいのか頭がぼんやりする感じがします。 単に絵を描いたり写真を撮ったりしてももちろんいいと思うんだけど、何か、そこに用の美を見出せないと、自分自身がときめかないような気もする。 だからおハイドさんが昔self portraitのグラフィック作ったりツアーグッズ作ったりするときに「自分の部屋に飾ろうと思って作った」みたいなことおっしゃってましたけどそれはまさしく最も的確に自分自身のクリエイティビティを鼓舞する方法だと思うんですよね。 今は、量産しようとしまいとそれはどっちでもいい。どっちでもいいんだけど何かに使えたり、飾るべくして飾れるようなものじゃないと、作っても仕方がない。でも何を作ったらいいの。ていうか作る必要はあるのか。でも作らないと何かを作ってる人に対してどんどん卑屈になる。つら。 という微妙に泥舟感のあるループ。何かを作るスタート地点としてあまり健全ではないですけど、まあ、そういう考えで、負けたアカンって言ってものを作るエネルギーにすることもありなんじゃないかなって自分で自分を納得させています。いますがまだ何作っていいかわかんない。 とりあえずカメラが欲しいな。
マッカランのおいしさってちょっと意味わかんない。くらいうまい。なにこれ。
みたいな不毛なことを考え続けて私は今日も元気です。夢見が若干悪めですがたぶん夜中まで椅子で寝てるせいでしょう。椅子で寝ちゃって首ばきばきになってようやっと布団に移るとかそういうあほなことをしてるせいですね。計り知れないあほんだら、って町田康が書いてたのね、だからなんだって話でね。 あっでも歯茎が痛い。血の巡りがよくなると、なんかこう、歯ァが生えてきそうな感じで痛いんですけど、でも私もう親知らず全部抜いたし生えてくるものってないはずなんだけどなあ。不思議だなあ。 と思いながらそーっと歯磨きしてます。 ひっさしぶりにご本を買いました。 永井荷風とフィッツジェラルドとイタロカルヴィーノ。まだフィッツジェラルドしか読み進めてないんですけど思ったより俗世的ですね。もっとこうカポーティみたいなひんやりした感じかと思ってた。なんでも短編集が好きです。サキのもけっこう俗世的だった、ようなそうでもないような、そうなような、そんな感じです。 ジェフリーアーチャー読んでる感じに近いですね、フィッツジェラルドさんはね。 本買うときに、本を紹介してる本という非常に修辞的な本を参考にすることがあって、特に群ようこの本はすごく参考にしています。 ふつうにエッセイとしても面白い。で、おすすめする本の一節が抜粋されてんだけどこれがまた絶妙な部分なんですね。非常に頭に残るのでとてもおすすめですが、好きすぎて人に教えたくない気もする。 すっかり花粉症のシーズンらしいですが今年の私はいつになく健康で嬉しくて仕方ない。まだわかりませんけどね。まあでも花粉症の薬が私にはあるので、今年はこの調子で行きたいなあ。くしゃみとか鼻水とかいろいろあってもマスクをしたくないんですね。 ほんとどうでもよすぎて涙出てきた。嘘だけど。という感じでいろいろあったけど、まあそれも嘘だけど、私は元気です。つってポスト。
寝る前よく考えるイメージ。
口をこじあけて、人差し指と中指で舌の付け根を押す。 ひざまづいて、両手を重ねて祭壇に置いて項垂れる。 というようなイメージを持ちながら、広いコンクリートの床で眠る、眠らない、眠る、眠らない… 深呼吸をして息を吐くたびに一つ下の階層に下がっていく。 息を吐くたびに自分の輪郭が少しずつ溶解する。 最後はいつも溶解する。立体や羊やフィボナッチ数列や雑多なイメージの集合が溶解して質量を失い、私はひたすらベランダの手すりの数を数えている。 太陽光が反射して天井の凹凸を一個一個私にいちいち教える。私は大事な講義を聞くみたいに、聞くみたいな顔して、電気のまんなかに映った絨毯と心を通わせる。 乾いて、なにとも癒着せず、服の中で自分の身体の輪郭を取り戻す。 すべてのdevoirをし、すべてが動くように動き、してしかるべきことをしているとき、猛禽類が獲物をその爪で掴むように、何かを捉えて非常に残酷な所業を行っているような、ある種の快さをおぼえる。 脳がもたらす、胃の不調について考える。胃がもたらす脳の不調。肋骨から滲み出す不調。気をまぎらわせる。いつでも再生可能でありいつまでも停止が不可能なアクション。 息を吸い、あばらの存在を感じ、息を吐いても、なおそこにあることをはっきりと自覚して、なんとなく暗い喜びを見出す。 おそらく病理にたどりつく道を横目で見て、またはそうと知らないで、踏みしめる。私がそれを待ちわびた時は来ず、私がそれを遠ざけた時に来る。 それでまた息を吐き、吐いて、意識の階層をどんどん下げる。手のひらの温度と足の甲の温度を意識する。意識を下げる。息を吐く。液体のように息を吐く。 朝は第二幕の舞台みたいに唐突に始まり、運悪く夜であれば、泥のように続く。
メモをツイッターでしてはいけないな。
ということを学びました。メモしたこともどんどん流されていくから結局思い出せんよ。 とかいってここにメモしても結局探せないんだけど!頭脳が頼りですよ。 前にCMで聴いたミシェル・ルグランの曲が毎回思い出せくなるからグーグル先生にお尋ねしました。 「ARRIVEE DES CAMIONNEURS」という曲らしいけども、昔たしか友達の家で「ロシュフォールの恋人」見てて、ミュージカルのシーンで使われてた「Nous Voyageons de Ville en Ville」の方が印象に残ってます。 おそらく同じ曲の歌がついてるついてないの違いなんじゃないでしょうか。 パソコンからこのブログを更新するのが久しぶりすぎてiframeのタグが使えたか覚えてないや…どうだっけな… あと中学生?高校生?ぐらいの頃、ヨーヨー・マのCD借りて、いいなあと思った曲があったんだけど、なんだっけ?と思ってそれはアマゾン先生にお尋ねしたら、「シンプリー・バロック」というCDで、一曲目はバッハのカンタータだった。が、動画が出てこなくてじりじりします。 最近になって、「中高生のときにヨーヨー・マ一時期聴いてた。ジャケットがさだまさしだと思ったから、「さだまさし、チェロ弾けるの!?」と思って借りたんだよねえ」って友達に言ったら、 「普通、高校生は「えっ、さだまさし!?」つってCD借りないよ」 って言われて目からうろこ。 とか言ってたら見つけた! これの14:38くらいのところからをヨーヨーマがアレンジしてた。 去年の秋口ぐらいからクラシック回帰しはじめ、定期的に訪れる潮流ですが、今回のはけっこう長く続いてます。ピアノの有名なやつばっか集めたやつとか聴いてて、ダカンの「かっこう」とか小学校の体育館で弾いてる人いたなあとか、なんかこう、過去を振り返るというか、過去自分が立っていた状況を違う視点から見ているというか。 でも何かがいいなと思う感覚というのは俯瞰してみることができなくて、私が通っていたのはカトリックの学校だったんですが、やっぱり今でも、賛美歌とかミサ曲とか、好きというよりはなんかこう、馴染んだ感じがする。 学校は楽しかったのかって言われたら私にもよくわからないけど、そこで育った感覚、感触みたいなのが、その後の人生のなかで思ったより中心になってくるんだな、ということが最近になってようやくわかってきました。 私が通ってた学校に行ってた人に必ずしも当てはまるわけじゃなくて、私がそうだっただけなんですけど、私は学校という場所の中で、わりと静かに、というのは、何か強い刺激を与えられることがなく過ごしてたなと思います。 もちろん好きな音楽を聴いたりとか、本を読んだりとか、それによって衝撃を受けたりとかはあったけど、もっと大きなコミュニティに踏み出していくことがなかった。それがのちのち人生で大騒ぎしたりあほみたいにゲラゲラ笑ったりすることが増えても、頭のどっかについたてがあって、その後ろに当時のひっそりした部分というのが擬似的な部屋、スペースみたいにして残っているような状態です。 だから、広いスペースに何もないっていう、テナント募集の物件の前とか通ると、自分の頭の中みたいでぞくぞくします。 学校行って得た結果ってこんなんでいいのか。 と、言いながら、今G.F.ヘンデルのハレルヤコーラスを狂ったように聴いてて気づいたら結構な時間になってしまったのでほんらい書こうと思ったこと何一つ書いてないけどもうやめます。 おい大変な時間だな。おやすみなさい。
って思うほど頭のネジがゆるくて痒いけどたまにはいいかなっていつもそんなんですけどポスト。
本を読むなら今だ、と思う瞬間が本を読んでいる時に訪れることがあって、たとえば5分前。 ブローティガンの「芝生の復讐」を読んでました。読了はしてない。 一文一文がゆっくり頭に馴染んでいく感じ、脳に今電気の信号が通っているなという感じがあって、それは文章を理解する上で非常に大切な体験と経験だと私は過去の、体験と経験で知ってる。 会話はそうじゃない。もっと簡単な言葉で、条件反射のように、ダイレクトに反応してしかるべき行動です。私はたぶん会話もできる。条件反射のように。 でまたそれと別にゆっくり本を読むこともできる。速読というのには憧れるけど、まだ私にはできないな。 ある程度複雑な何かができる、ということは、とりもなおさず、何かが好き、そうしたいと思っていることとイコールじゃないかと考えていて、その上でそれが成される。 趣味のようなことですよね。楽器を弾いたり、ハードルを跳んだり、本を読んだり、料理をしたり、まあそんなような。 自分を何かに向かって拓くことで何かに対するスキルを体得できる。だから、何が言いたいのかというと、なんでもできる人は、いろんな方向に愛があるんじゃないの?って私が勝手に仮説を立てているし、私もそうあれかしと願っています。 私は自分を日常のルーティーンにはめることがそれすら習慣になるくらい、癖になっているんですけど、その日常の時間から転がり落ちるとこういう芒漠としたことを考えます。 そのためにルーティーンが必要なのか。私はルーティーンが好きなのか。知らねえよね。 って感じのことを渋谷で考えてる。
放置しすぎであろうと思い再びブログの稼働を試みる冬の晩です。
大変なご無沙汰をしております。てか私のこと覚えてる人おんのけ? 日記書いてないあいだ何をしていたかというと、仕事は仕事。休みの日はトイレ掃除とニート。でまた仕事。そんな感じ。 なにかの画像を拡大して、それを拡大したまま印刷して、それをそっと机の上に広げたみたいな、密度の薄い、やりこなす、ルーティンワーク的日常、このように生きていけるんだなということを学ぶという点においてのみ有意義な、要はどうしようもない日常、ほんとうに、「日常」と呼んで差し支えのない日々を過ごしていました。 まさか嵌まるまいと思ったのにアニメ嵌まったりしたし。謎だね。 あとツイッターをやる頻度が上がったり下がったり、まあこのブログよりは確実に上がってた記憶のある日々です。 ベースは変わらず町田康の詩をなにかにつけて思い出すようなそんな毎日の中で、まあ仕事も、ある程度経験積んで、先々どうするかって話になったり、人生において何をやらなければ後悔するかをもう一度考えた挙げ句、大きな目標を設定したもののとりあえずお金のなさに愕然としたりとか、一文が長くてすみません、そんな風な机上の空論的日常を淡々とこなしています。 スザンヌヴェガの来日公演(場所がギロッポン)を見つけたのが最近一番興奮したことかな。予約はまあ、しましたよね。ビルボードライブ東京って行ったことなくて楽しみですね。 先日、ブログ怠けてる間にまた一つ年をとったわけなんですが、おかしなことに、あるいはまったく自然なことに、年を重ねるにつけ、しっくりくる感が強くなります。私が今私として、見た目や中身をもって存在していて、そこに年齢という移ろうオプションが付いているわけだけど、そのオプションが年々、私のいまのあり方に対して、自然になじんでいくんですよね、そしてそれは、一言で言うなら、私が昔から老けてたということね。 だから年を取るのは嫌いじゃないし、肌がどうの、体型がどうのってだんだんがなり立てられるんでしょうけど、若くないなら若くないなりの魅力というものを見つけられないような奴に用はないんですよ。 そしてそれはまた、若くないなりの魅力を自分で認められないような奴にも用がないということとイコールでありえます。 若いなりの魅力、過渡期の魅力、若くないなりの魅力というのは全部並列のものとして私達は手に取るべきだと私は思っていて、それぞれ一番得意な分野がみんなあると思う。で私は多分若くないなりの魅力という部分について訴求できるのかなって今から思っています。 ありきたりなこと言ってごめんなさいよね。 お久しぶりでした。
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